アニメ「千と千尋の神隠し」

荻野 千尋(おぎの ちひろ) / 千(せん)
    声 – 柊瑠美
    主人公。荻野家の一人娘。小学4年生の平凡な少女。両親と共に異界に迷い込んでしまい、神の食物に手を付け、豚にされてしまった両親を人間に戻し、元の世界に帰るために湯屋「油屋」の経営者である湯婆婆と契約を交わし、名前を奪われ「千」となって働くことになる。以前は家の手伝いなどしたことも無いため家事の手際は悪く、一人になると不安になって何をしていいかも迷う性格だったが、不思議な町での体験を通して、自分でも気づかなかった適応力や忍耐力を見いだす。最終的には居場所の無かったカオナシを鎮め、坊の独り立ちに一役買い、傷ついたハクを救う等驚くべき行動力を見せる。また母性の片鱗も見られるようになり、暴れるカオナシを宥め、ハク竜にニガダンゴ[4]を食べるように諭す等、慈愛にも似た優しさを見せた。
    ちなみに、契約書に自分の名前を書くシーンでは、「荻」ではなく「获」と書いている[5]。 
(ウィキペディアより)
 
 
アニマルライツ運動を筆頭にさまざまな運動に参加するようになり、わたしはこの映画に再び出会い直した。名作と言われる作品ならば、何度でも出会うことができるし、そのたびに理解が深まっていく。良質な人間関係がそうであるように。
 
わたしのペンネームは知恵蔵なのだが、本名は「千絵」で、「千」である。ほんとうは
「千紘(ちひろ)」にしたかった、と母が言っていたが、わたしが生まれた時点では「紘」という漢字は人名としてはまだだめだったそうで、わたしより何歳か若い人たちの名前にはよくこの漢字を見かける。だからわたしの「もうひとつの名前」は「ちひろ」だ、という感覚がなぜかある。千尋と言えば、ARCの代表の方のお名前ですね。ご縁を感じます。
 
不思議な街に迷い込んだ千尋一家。誰もいない屋台。「ごちそう」を勝手に食べ始める両親。「食べちゃだめ!」という千尋。聞かない両親。とても印象的なシーンだ。あまり書くと、まだ見てない人(もしかしたらいらっしゃるかもしれないから)に申し訳ないから書かないけど、それから急展開。
湯屋で働く千。金をばらまき大盤振る舞いのカオナシ。みんなが踊り狂い、飲み食い、金に群がる狂騒の中、カオナシに対したった一人、「わたしお金はいらない」ときっぱりとNOを突き付ける。はっとさせられる。
 
この作品を通して、宮崎監督はほんとうにいろんなことが言いたかったのだ、とことあるごとに思う。アニメという媒体を通して、こどもたちに訴えかけているのだ、とはっきりと読み取れる。
 
夏になると宮崎作品は見たくなる。願わくばもう一度、劇場のスクリーンで、湯バーバが見たい。
 
 
文責:猫家知恵蔵



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