書籍「脱牛肉文明への挑戦」

写真は1870年代中期。肥料にするためのアメリカンバイソンの頭骨の山

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資本主義の発生は、牛の牧畜化の発生と不可分の関係にある。
牛(cattle)という語は、そもそも資本(capital)と同じ語源から派生している。

この本では、世界の歴史において当初神格化されていたにもかかわらず資本にまでおとしめられた牛が、資本拡大に利用されてきた歴史と、利用による害悪が記されている。

資本拡大の歴史は、貪欲で血塗られている。
そのことが分かりやすく書かれているのが西部開拓史についての章だ。
西部開拓史においてバッファローが大量虐殺させられたことを知る人は多いだろう。
しかしその理由を正しく知る人は少ないのではないだろうか。
バッファロー虐殺の理由は、「アメリカ先住民の弱体化」と「牧畜の土地の確保」にあったと、この本には書かれている。

アメリカ先住民(インディアン)はバッファローを狩猟し、食料やテント・衣服の材料にしたが必要以上には決して獲らなかった。かれらにとってバッファローは年に一度の儀式で神にささげる供物であり、生活に密接に結びついた文化でもあった。そのバッファローを失った先住民の痛手は大きかった。
「大平原のインディアンたちは、自分たちの命綱を断つことを狙ったこの強引かつ決定的な攻撃の痛手からついに立ち直ることができなかった。多くのインディアン部族は、バッファローの大量虐殺に呆然とし、自分たちが悪いことをしたから天罰が下ったのだと考えた」

先住民への仕打ち以上に、征服者がバッファローに対して行ったことはすさまじい。
「アメリカン・バッファローの大量殺戮は、今日に至るまでアメリカ生態学的歴史におけるもっとも身の毛のよだつ出来事の一つとして語り草となっている。殺戮は集中的かつ徹底的に行われ15000年もこの平原に生息していたバッファローがほとんど一夜にして息の根を止められてしまった」
このとき400万頭以上のバッファローが殺戮されたと伝えられている。
ハンターたちは、バッファローが凍りついたように身動きしなくなり、面白いように撃ち殺せる「スタンド」に遭遇するのを待ち望んだ。
「傷ついたバッファローの周りには、血の臭いに引き寄せられた仲間が集まる。銃弾がもう一発ぶち込まれる。別のバッファローが頭から崩れ落ちて、血を流す。ほかのバッファローたちはそれをじっと見つめている。そして傷ついた仲間があの恐ろしい轟音を発しているのだと考えているかのように、倒れた仲間にじっと注意を集中する。何度も何度もライフルが炸裂する。一頭、また一頭と、バッファローが血を噴きよろめき、倒れる。残ったバッファローはただそれをぼうっと見つめるばかりである」
鉄道会社は「汽車に乗ったままバッファロー狩りを楽しめる」といううたい文句で客を呼び込み(バッファローの死体は線路沿いに何百マイルも列をなして横たわった)、「いたるところにハンターがいて、いたるところで銃声が響き」バッファローは殲滅させられた。
そしてバッファローがいなくなった平原に資本(牛)が放たれた。

資本拡大の犠牲になったのはバッファローだけではない。ピューマ、コヨーテ、ワシ、クマなど牛の牧畜の妨げになる野生動物たちが組織的に駆除され、生態系はずたずたになった。

そして牛の過放牧が環境を破壊していく過程がこの本には記されている。
この本が出版されたのは1993年。FAOが「畜産業、特に牛の放牧が環境破壊の主要原因となった」と報告したのが2006年。そして2015年、今も「牛肉」による害悪は終わっていない。

筆者は脱「牛肉」しなければならないと説く。
「今日、人間とウシの関係の一大長編ドラマの第三幕が私たちをいざなっている。ここでは、ウシの肉を食べないことを選択することによって、私たちはこの動物との間で新たな契約を交わす意思、すなわち市場の命令と放埓な消費を超越した関係を築くことへの意思を表明するのである。
近代的な巨大肥育場と食肉解体場で加えられる苦痛と残忍な処置からウシを解放することは、きわめて象徴的な、かつ実際に重要な意味を持つ人道的行為である。
角の切除、人工授精、発情期の調整、ホルモン注射、大量の抗生物質の投与、殺虫剤の散布、そして自動制御化された流れ作業式解体場での屈辱的な死から生き物を解放することは、深い悔い改めの行為である。それは、私たち近代人が、自然の力に対する抑制のない支配力の追及において生きとし生けるものすべてに加えてきた破壊行為を直視し、自覚することである。」

「脱牛肉文明への挑戦」

ジェレミー・リフキン著-1993年

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