なぜなぜ太郎:「ヴィーガン、っていうのはそんなにだいじなことかい?」
猫御前:「わたしにとってはそうだね。」
太郎:「それはどうして?」
猫:「実践、だからだね。」
太郎:「それはどういうこと?」
猫:「社会のしくみを変える、運動を大きくする、ということに希望を持つのも大事だけど、日本では運動はなかなか大きくならない。社会はなかなか変わらない。政治もよくならない。だけど、個人でやれること、個人から変わっていくこと、まず、自分がその変化になることが希望だと思っているんだよ。」
太郎:「それで何かが変わるのか?」
猫:「少なくとも、社会や政治のせいにしたり、リーダーに期待したりするよりは、わたしはこうする、と発信する個人が増えることに、わたしは希望を感じているね。」
太郎:「それはどうして?」
猫:「その人の姿を、誰かが見る、ということがあるからだよ。わたしはなにか自分が影響を受けた、変化があった、と感じるのはやっぱり、誰かとの出会いだし、その人のひとつひとつのことばとか、行動、選択、そういうものに感銘を受けて、自分も変わることができるから。」
太郎:「そうか。具体的なんだね。」
猫:「社会問題、というと大きくて、手が届かない感じがする。でも、どんな石鹸を使うのか、おやつには何を食べればいいのか、どんな本を読むのか、どんな服を着ているのか、とか、そういう具体的ななにかで人は変わって行くものだと思うんだよ、わたしは。」
太郎:「大きなことをやろうとする人は多くても、小さいことをやろうとする人はあまりいない、とマザー・テレサも言ったそうだね。」
猫:「うん。小さいことは目立たないし、承認されにくいからね。一人がヴィーガンになったくらいで、と多くの人は思うんだ。でも、わたしは思わない。こんな社会のなかで、個人がそういう決意をする、というのはすごいことだと思うんだよ。」
太郎:「ヴィーガンは誰にでも可能かな?」
猫:「それはわたしにはなんとも言えないけど、わたしは実践しているから、基本的にはやれることだろうと思う。衣類や食べ物、日用品に、一つ一つ気を配って生きる、ということはとても大切なことだろうと思う。そして、その人がそのことを発信したら、その人になにかプレゼントをしたい、と思う人はいままでと違う基準で考えるようになる。そうやって、繊細に、細やかに、人間関係が変化していくんだよ。」
太郎:「そうか。俺も、猫御前さんに出会って、物事の見え方が変化してきたよ。安いから、とかなんとなく欲しい、とかでモノを買わなくなった。」
猫:「いい意味で頑固、っていうのは大切なことなんだよ。そういう頑固者が社会を変えて行くんだ。社会を変えるのは個人の力なんだよ。制度や政治が変わるのを待っているよりは、頑固者が一人でも実践していく、というのは希望だと思っているんだ。」
太郎:「それは、おれもそうだ、と思う。猫御前さん、前向きに頑固だよ。」
猫:「うん。動物の犠牲がなくても、生きていけるという見本は、一人でも多いほうがいいと思うんだ。」
ヴィーガンっていうのは、そうか、実践なのか。なんでも「実践」しないとただの知識だし、社会に影響することはないけど、ゴミ拾いでもなんでもだけど、誰かがなにかを「する」っていうのは確実なんだな、小さくても、としみじみ思った太郎でした。
語り:猫家知恵蔵
猫家知恵蔵ブログ
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著書「Veganという生き方」「生きルーム」
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