RIVER PHOENIX
映画のイメージが強いリバー・フェニックスだが、彼の親しい友人たちによると「リバーが情熱を傾けたのは音楽だということだ。
彼はシンガーソングライターであり、熟練したギタリストでもあった。
生涯を通じて厳格なヴィーガンで、動物の権利団体PETAのスポークスマンでもあった。
以下、『宇宙船地球号』(谷野著※未出版)より抜粋
リヴァー・フェニックスは、映画「スタンド・バイ・ミー」で一躍有名になったハリウッドの人気映画俳優です。
その卓越した演技力については往年の名優ハリソン・フォードに、『天才!』と言わしめたほどで(映画「モスキート・コースト」では、ハリソン・フォードの息子役を演じ、「インディー・ジョーンズ・最後の聖戦」では、少年インディーに扮しています)、スピルバーグ監督もリヴァーの才能を高く評価し、主演場面を新たに脚本へ付け加えたとされています。
ハリウッドの映画業界から最も有望な若手俳優として、将来を期待されていたリヴァーですが、同じく映画界の大スターであるジョニー・ディップが当時共同経営していた“ヴァイパー・ルーム”というバーで、1993年の10月31日の夜に弱冠23歳にして、惜しくもこの世から去ってしまいました・・・。
リヴァー・フェニックスは1970年8月23日にアメリカのオレゴン州の山麓の丸小屋で、医師の付き添いすらなくフェニックス家の長男として生を受けました。
リヴァーという変わった名前の由来は、ドイツの文学者ヘルマン・ヘッセの「シッダールタ」という作品に出てくる“theRiverofLife〈命なる川〉”に因んで母親が名付けました。
リヴァーの両親は当時ヒッピーのような生活をしており、自分たちが拒絶し、また拒絶されて来た社会から、フェニックス〈不死鳥〉のように復活するという意味を込めて、フェニックスという性に改名したそうです。
リヴァーの一家は当時、キリスト教系のカルト教団「チルドレン・オブ・ゴッド」に入会しており、伝道師として活動していました。
まだ幼かったリヴァーは両親に連れられ、“セックス・カルト”と悪評のあった教団へ出入りしていましたが、4歳の頃に同メンバーから強制的な性体験をさせられ、この体験が生涯彼を苦しめることになって、どんなに過去を否定しようとしても、悪夢を消し去ることはできませんでした。
後にフェニックス家は、同教祖のスキャンダルが発覚したことにより、このカルト教団を脱会するわけですが、当初は教団への忠誠心の高さから責任のある階級へ引き上げられ、伝道のために一家で旅を続けていました。
そのためにリヴァーは幼い頃から初等教育すら受けさせてもらえず、ストリート・パフォーマンスでギターを弾き、兄弟たちと共に唄いながら生活費を稼いでいました。
フェニックス家は少なくとも40回以上の引っ越しを経験し、放浪者さながらの生活をしていたわけですが、リヴァーの母親は息子の才能を早くから感じ取って、ショービジネスのスターにするという、とてつもない構想を胸に描いていたのです。
そんなリヴァー自身に転機が起こったのは7歳の時でした。友達と一緒にボートに乗って、魚釣りをする光景を眺めながら、はじめて人間の残酷さに気付いたそうです。
『魚が釣れる度にクギの突き出た板に向かって魚を投げつけるのを見て、信じられない気持ちだったよ。悪い人たちではないのに、自分たちが痛みを与えていることに全く無感覚で、それ以来、僕たち兄弟(妹のレインは5歳、ホアキンは3歳、リバティー1歳、サマーは生まれたばかりでした。現在、兄弟の皆が映画や音楽業界で活躍しています)は、食べるためになぜ動物の命を奪わなければいけないのか、ハンバーガーやホットドッグの本当の中身は何なのかを両親に聞くようになったのだ。それから直ぐに家族全員が、他の生き物の自由に生きる権利を奪わないことを決め、ベジタリアンになったのだ。でも、僕たち子供が質問しなかったら、こうはならなかっただろう』。
ムービー・アイドルとして人気を博してからも、リヴァーは動物や自然を慈しみ、動物たちが人間と同様に扱われることを望んで、自然環境の保護活動にも精力的に参加しました。
リヴァーは4歳の頃から独学でギターを弾いていたのですが、U2やボブ・マーリィをアメリカへ売り出し、レゲエの火付け役と呼ばれたアイランドレコードの社長は、この若い俳優の音楽性に特別なものを感じて将来的な契約を申し出るほど、彼は音楽の才能までも兼ね備えていたのです。
リヴァーは“アレカズ・アティック”というバンドを結成し、ヴォーカルとギターを務めていました。
彼の持つ音楽への情熱は凄まじく、自分で作詞作曲した曲を、1日で90曲もレコーディングしたこともあったようです。
夜通しの作業にメンバー全員がダウンして目覚めた後も、リヴァーだけはケロリとして、『あれから25曲作ったんだ。見てよ!』という調子だったそうです。バンドのメンバーはリヴァーのことを、“創造力の爆発”と評していました。
リヴァーは自分の音楽が世界を変える一助になることを信じて疑わず、様々なチャリティー・コンサートへ出場しながら曲を披露していました。『僕たちにとって、世界にとっても一番大切なものは環境です。環境は文明を生きる僕たちすべてを守る生命維持システムです。動物は意見を述べることができませんから、このアルバムで彼等の気持ちが代弁できるような気がしています』。
動物保護を訴えたオムニバス・アルバム「TAME YOURSELF」の参加アーティストの中には、アレカズ・アティック、ハワード・ジョーンズ、B-52、ベリンダ・カーライルなどが名を連ね、リヴァーが作詞作曲した「ACROSSTHE WAY」という自然保護を題材にした曲が収録されています。
自然保護活動家であるリヴァー・フェニックスの菜食主義は徹底しており、卵や乳製品はもちろんのこと、ハチミツさえ口にしない“ヴィーガン”と呼ばれる食スタイルでした。
ガール・フレンドとレストランで食事をした際にも、彼女がカニを注文した途端、理解してもらえない悲痛な心情から、泣き出して店を出てしまうほどに、“地球の仲間たち”への想いは純粋でした。
そんな彼が好んだ食べ物は、豆腐や海苔、野菜の天ぷら〈精進揚げ〉、シャーベットなどで、朝食には牛乳なしのシリアルを主に食べていたそうです。また化学調味料や過度の加工食品も避けていました。
リヴァーは『同じアジアの料理でも油が多い中華料理とは違って、日本の伝統料理はヘルシーで美味しい!海苔も大好きだよ。』と絶賛し、映画のPRと島原被災者の救済チャリティーを兼ねて来日した時も、“茄子の生姜焼き”を堪能して、余りの美味しさに大感激していたそうです。
リヴァーのライフスタイルは動物性や化学物質を排除し、合成石鹸やシャンプー、革製品などの衣類も一切使用せず、ジーンズのCM出演依頼にも腰のタグに皮が使われている理由から断っていました。
映画のデビュー作にあたる「エクスプローラーズ」の撮影では、リヴァーの信条を知らないスタッフが用意した衣装の中に皮のベルトが含まれており、スタッフの説得も聞き入れなかったので、ロープを代用したというエピソードが残っています。
このベルト事件以来、共演者たちに菜食主義のことでさんざんイジメられることになり、一般社会での経験もない14歳だったリヴァーは当惑するばかりで、自分の考えを言い返すこともできず、悔し涙を見せることも何度かあったようです。
リヴァーは撮影の合間に唯一の友達だったギターを抱え、いつも弾いていました。
好みの女性のタイプを問われるとリヴァーは、“化粧をしない人”と答えていましたが、女性関係も一途で、それは幼年期に経験した不幸と無縁ではなかったのでしょう。
ファンの女の子からプレゼントを渡されると、決まって次のように答えていました。『ありがとう。気持ちは本当にうれしい。でも、今日は受け取りますが、次からは君のその気持ちとお金を、熱帯雨林の伐採反対や動物実験反対などの、そういった運動にチャリティーして下さい。お願いします-』。
リヴァーが動物保護を強く訴えた雑誌の記事を読んで、何百人の子供たちが動物を助ける運動に参加することを決意したそうです(リヴァーのライフ・ワークに強い影響を受けた俳優に、環境保護活動家としてのレオナルド。ディカプリオがいます)。リヴァーはファンに対してサインよりも、握手を好んでしていました。
リヴァー・フェニックスは映画俳優として有名になり、収入が増えてからも贅沢をせず、外見も銀幕のスターとは裏腹に、長髪でホームレスさながらの服装をしていたので、入店を断られたことが何度もあったことを、彼と親しかった友人たちは語っています。
リヴァーは10代の頃のインタビューで次のように述べました。『お金ができたらブラジルの熱帯雨林を何千エーカーも買って、自然公園を作りたいな。そうすれば、ブルドーザーで掘り返すことができなくなるからね。あそこは僕らの酸素源なのだよ』。そして20代になってから、その夢を少しだけ叶えました。パナマとコスタリカの国境に800エーカー〈約100万坪〉の森を購入したのです。
『俳優をやっているお陰で自分は知名度の高い存在であり、その立場を大いに活用して、多くの人に動物愛護の精神を理解してもらいたい、考えに賛同してくれる人を増やしたい・・・。』
リヴァーは、アメリカや日本を初めとするテクノロジー国家が自然を破壊し搾取してゆく状況を見るために、一人で旅をすることが多かったと伝えられています。
『今度の来日もね、映画のキャンペーンもあるけど、日本の若者と石油や熱帯雨林や鯨の問題を話し合いたいと思って来たんだ。目先の経済効果に走るんじゃなく、もっと長い目で将来を見て、子供たちや地球のために立ち止まって考えて欲しい。そういうことのために少しでも役に立ちたいからね。』
リヴァー・フェニックスの慈善活動は、動物愛護や自然保護だけに止まらず、被災地へのチャリティーや難病に苦しむ児童基金にも援助をしていました。そしてホームレスには自家製のベジタリアンメニューを作って配っていたそうです。
しかしリヴァーの死因はクリーンなイメージと正反対に、複数のドラッグによる“急性多重薬物中毒”と報道されました。
リヴァーは映画の役作りにも徹底しており、海兵隊のキャンプへ1カ月入隊したり、偏見を抱くことなくゲイやホームレスの人たちと生活を共にし、演技力に磨きをかけていたのですが、「マイ・プライベート・アイダホ」という映画の役作りのために薬物中毒の人と接触し、ヘロインを覚えたのではと言われています。
そして残念ながらこれが切つ掛けとなり、様々なドラッグに手を出していったようです。
リヴァーの死は究極な皮肉をもたらしました。たった一夜でリヴァーの博愛主義の活動や固い信念も忘れ去られ、マスコミは彼をハリウッドの麻薬犠牲者に仕立て上げました。
かつてナンシー・レーガンの“『NO!と言おう』反麻薬キャンペーン”を公的に支持していたリヴァーは、偽善者と麻薬中毒のレッテルを張られました。
リヴァーの父親は、自分の息子がハリウッドのような社会に抵抗できないタイプだと分かっていたので、ハリウッドでの活動を早くから反対していました。そして妻とは別居し、フロリダの田舎で「ジョンの自然食レストラン」を営んでいたのです。
彼の理想は子供たちが調理場を手伝ったり、音楽をやったり、有機栽培の果物を取ったりしながら、皆で楽しく一緒に暮らすことでしたが、息子が麻薬中毒になっていることを知り、ハリウッドから骨の髄まで吸い取られる前に、映画界を引退するように説得しました。
リヴァーは父親のアドバイスを承諾しましたが、契約を済ませた3本の映画だけには出ると主張しました。そして別れ際にリヴァーは最後の言葉を父親へ向けて言ったそうです。
『この映画が終わったらまた今度ね、父さん・・・』。
リヴァーの父親は『その通りでした。棺の中で眠っていましたがね。』と、自分の予感が的中し、最愛の息子を守ることができなかった失意の胸中を語ました-。
リヴァーは満月のハロウィーンの晩に、“ヴァイパー〈毒蛇〉・ルーム”の前で亡くなりました。
死の数日前からリヴァーは友人たち向かって、『精霊が自分を連れて去ろうとしている・・・・』と話していたようですが、誰もまともに相手をしませんでした。
遺作になった直筆の詞にも、“死ぬ”とか“あの世に行く”という言葉が書かれていたそうです。
運命の夜、ある有名なミュージシャンがトイレでリヴァーに高純度のヘロインを手渡し、それを嗅いだリヴァーはたちまち洗面台の前で体を震わせてよろめきだして、『なんだ、これは!何が入っているのだ!』と叫んで、一時的に意識を失いました-。
友人たちは麻薬をやっていたので救急車を呼ぶのもはばかれ、少し回復したリヴァーを店外へ連れ出した途端、再び発作に襲われた彼は歩道へ倒れ込んでしまいました。
誰かが倒れているのを目撃した芸能カメラマンたちは、手助けをしようとして近寄ると、それがリヴァー・フェニックスだったので驚きを隠せませんでした。
正気づいたリヴァーはカメラを目にし、この姿が全世界の人の目に触れられることを恐れるように、『失せろ、カメラマン!誰にも知られたくないんだ!』と最後の言葉を吐き出しました。
リヴァーは水から上がった魚が飛び跳ねるように、手と足がバラバラに動き、頭と拳を歩道に叩きつけていました。そして救護隊が到着した時には脈拍も血圧も測定できず、リヴァーの心臓は既に止まっていたのです・・・。
ハリウッドではドラッグが簡単に入手できるため、多くのスターが誘惑に負けて手を出してしまうという現実があります。
特にリヴァーのような厳格なベジタリアンは、ドラッグに対して敏感な体質であったがために、過剰接種状態を引き起こした可能性が高いのではと、考えられています。
子供の頃から一家を経済的に支え、映画スターとしての重圧に潰されそうになりながら、それらのストレスを悲しくもドラッグに求めていたのかもしれません-。
リヴァーが生前出演依頼を受けていた映画の次回作に、アン・ライス原作の人気作品「インタヴュー・ウィズ・ヴァンパイア」の撮影が予定されていました。
アン・ライスは主人公のヴァンパイア・レスタトの役を、是非ともリヴァーにと願っていたようですが、製作側がトム・クルーズに決定してしまい、気分を損ねたアン・ライスが承諾しなかったので、撮影が数カ月遅れたそうです(原作の“ヴァンパイア・クロニクルズ”シリーズを読まれた方は、レスタトがリヴァーのルックスのイメージに近いことをご存知でしょう)。
この作品は1994年にブラッド・ピット、トム・クルーズ、クリスチャン・スレーター、アントニオ・バンデランス、キルスティン・ダンストという豪華キャストで実現しました。
リヴァーの役は既に進行役のインタヴュアーへ変更されていたのですが、彼が演じるはずだった役柄を、「トゥルー・ロマンス」や「忘れられない人」で人気のクリスチャン・スレーターという俳優が、急遽代役として選ばれました。 そしてクリスチャン・スレーターは、リヴァー・フェニックスが生前支援していた環境保護団体へ、出演料25万ドルの全額を寄付したそうです。