牛(作品第126番)
…しかもじつに掬つても呑めさうな
黄銅いろの月あかりなので
牛はやつぱり機嫌よく
こんどは角で柵を叩いてあそんでゐる
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絵本を読んでいるように、映画を見ているように場面が浮かぶ美しい詩。賢治の童話や詩にはこのように動物たちがたくさん出てくる。このサイトにいらっしゃるみなさんならもうご存知だとは思うが、賢治はベジタリアンである。彼にとって動物は食べ物ではなく、愛しい存在なのだということがたとえばこの詩の一説からすっと伝わってくる。
叩いてゐる、ではなく叩いて「あそんでゐる」のだ。遊んでいるのだ。美しい月明かりの下でのびのび草を食んでいる牛と、その牛を優しい目線で見つめる賢治。
宮沢賢治。この名前を知らない人はいない。「注文の多い料理店」では猟師が逆の目に遭うという話である。「やまなし」ではカニのきょうだいが川のそこで仲良く暮らしている話である。彼は「ビジテリアン大祭」という作品も残している。動物を殺すな、というメッセージは彼の全作品にほとばしっている。
彼の作品は教科書などでも多く使われている。ならばなぜ、彼がベジであったことももっと語られないのであろうか。そのことを踏まえて彼の作品に触れれば、もっと鑑賞が深まるのに。
だからわたしはここで書こう。
宮沢賢治はベジタリアンだ、とわたしは何度も書かう。
猫家知恵蔵
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