【閑話】創作落語5 「猫御前癒し問答」

なぜなぜ太郎:「最近は、癒しとかヒーリングとか、そっちもすごくブームだよね。水族館で癒された、猫カフェで癒された、動物はすごく使われているね。」
猫御前:「そうね。多くの人は、癒しというものをお金を出して買うものと思っている。一生懸命働いている自分へのご褒美、家族や恋人が喜ぶから、なんにでも理由をつけることができるね。」
太郎:「それ以外にどうやって癒しを得ればいいの?何にでも値札が付いているこの社会でさ。」
猫:「主体的に、自律的に生きることだと思うよ。」
太郎:「猫御前さん、ときどき難しいよ。」
猫:「つまりね、こっちからいろんなことを他者に対して、社会にたいして行い、やるべきことをきっちりやって、ああ、もうこれ以上はできない、思いつかない、っていうところまでいって、で、なにか向こうから素敵なお返しのプレゼントがある。そういうことだと思うよ。」
太郎:「…。」
猫:「仏教のことばではね、自力と他力とあるんだよ。自力で行ける所まで行って、そして他力なんだよ。仏教的に言うと。最初から他力じゃだめなの。自分はなにもしないで、要求ばかりする。お金さえ払えば何でもいいと思っている、そういうことじゃないんだよ。」
太郎:「自力で行ける所まで…。」
猫:「やれることをしましょう、ってよく言うでしょ。やれることをきっちりやるかどうかなんだよ。」
太郎:「具体的にどういうことなんだ?」
猫:「たとえば、動物の保護活動をしている人たちは、とても大変だよね。いろんな困難がある。だけど、その分、達成感もあるし、動物たちとの本当の意味でのふれあいもある。一生懸命動物たちのためにやった人にしか、それはないよ。」
太郎:「人間相手でもそうかい?」
猫:「そうだよ。人間でも苦しい立場にいる人のためにちゃんとやっている人は、目には見えないけれども、素晴らしい贈り物をもらえるんだよ。」
太郎:「それが癒し、か。」
猫:「自分だけが、お金を使っていい思いをするとか、そういうことじゃないんだよ。」
太郎:「でも、その人のお金はその人が自由に使っていいんじゃないの?」
猫:「好き勝手、と自由は違うんだよ。」
太郎:「難しい…。」
猫:「だからたとえヴィーガンであっても、自分の食べ物や着るもののことだけ考えていたら、癒しは得られないんだよ。」
太郎:「なんか、ハードル上げてない?猫御前さん…。」
猫:「いや、今回は癒し、っていうことだから、どうしても抽象になってしまってね。」
太郎:「いや、でも、なんか少しは分かるよ。」
猫:「それはよかった。太郎ちゃん、いつもいい質問してくれて、ありがとう。」
 
なぜなぜ太郎は具体的に生きてきた男なので、抽象には少し弱い。目に見えない、とか、形のない、とかそういうことをあまり考えてきたことがなかった。ヴィーガンを、食べ物や衣類の話と思っていた。
どうやら自分が思うより深いことなんだな、というのは分かったみたい。
 
 
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