書籍「あなたが救える命」

ピーター・シンガー著
 
第4章 なぜ私たちはもっと寄付をしないのか?
 
 …助けを必要とし ている人は、私たちの感情を強くゆさぶる。これは私たちの情動システムが作用しているためだ。マザー・テレサの次の言葉はこのことを言い表わしている。 「群衆を前にしても私は決して助けようとしません。それが一人であれば、私は助けようとします」。(62ページ)
~引用ここまで~
 
  わたしは誰だってみんな何かしら親切なのを知っている。わたしだって、すごく親切なときがある。道を聞かれたら一生懸命教えるし、新幹線で外国人旅行者の 家族が一緒に座れるように席を譲ってあげたこともある。みなさんだって、そんなふうにだれかに無条件で親切にして、すごく喜ばれて、そしてすごく自分も幸 せになったこと、あるんじゃないかな。「ボランティア」っていうことばは、すごくおかしな使われ方をしているけれども本来的にはこういうことだと思う。 「あ、自分がちょっと動けばそれでいいんだ、みんながハッピーなんだ。」と気づくこと。
 親切にしてもらったこともある。わたしがペレストロイカ 直後のロシアを旅行していて、ペテルブルグの路面電車に乗るときに、回数券を持っていなくて乗れなくて困っていたときにアメリカ男性がさっと、一枚くれ た。「これ使っていいよ。」なんルーブルだったんだろう。たいした額ではないだろうけど、あの回数券一枚で、わたしがどれだけ助かったか、どれだけいい気 持ちになれたことか。アメリカ・男性・白人などと言えばもう世界の貧困問題を語るときに悪者扱いされるカテゴリーであるが、だからこそわたしは気をつけた い。人はみんな「目の前の一人」でしかない。あなたとわたしの関係でしかない。その関係を細やかに作っていくことが、連帯、支援、非暴力なのだと。どんな 集団にもいろんな人はいる。そしてどんな人にもいろんな面がある。そのことを忘れずにいたい。それを忘れて「群衆」「集団」で論じると、なにもかもおかし くなる。差別、暴力、戦争は「集団」でおこる。だからわたしはなにかをしようとするとき、その相手が目の前の一人、一頭、一匹であると仮定して動く。
 
  たとえばわたしが缶ジュースを買うのをやめて、お茶を淹れ、それを身近な人にも分けてあげたら、それは経済的にも精神的にもどれだけ豊かだろう。そしてそ の缶ジュース1本のお金が、どこかにいる「ひとつ」の命を救うとしたらどれだけ幸せだろう。わたしはいつもそんなことを思う。
 
 そんなことをリアルにひとつひとつ思いおこさせてくれる、しかもわかりやすい本です。行動、実践こそがすべて。シンガー氏はいろいろな方法でそれをわたしたちに語りかけてくれる。
 
 猫家知恵蔵(著書:「Veganという生き方」)
 

 

 

[html_block id="258"]