ピアカウンセラー:安積遊歩
赤ちゃんを見ていると、彼らの人を信頼する力に驚かされます。
優しく抱っこしてくれる人なら誰に抱っこされても平気です。
自分を大事にしてくれる人なら、その人のもとにいて大丈夫だと、にこにことしています。
でも、だんだんと人見知りというものが始まるといわれ、7、8ヶ月の頃から、親以外の人に抱かれると泣いて、その人が安全かどうかを確かめようとします。
安全だと分かる前に、泣かれた大人たちは、赤ちゃんをすぐその親に返してしまうので、赤ちゃんは泣いているほうが親元にいられるということを学習します。
しかし、泣く度に親が怒ったり、機嫌が悪くなったりするとだんだん泣けなくなり、周りの大人は安全な人たちであるとは思えなくなります。
泣くこと、つまり悲しかったり、辛かったり、混乱したりする時に起こる赤ちゃんの表現力は、周りの大人たちによって少しずつ、あるいは過酷に奪われていきます。
辛かったり、苦しかったりするのに十分泣けずにいた赤ちゃんが、大人になると自分の感性を疑い、表現することにはさらに躊躇い、あげくに深い自己否定になるときがあります。泣くことは、赤ちゃんにとって様々な思いを伝える表現であるのに、それを十分に発揮できなければ、後々辛くなると、自分の幼い頃を振り返って確信します。
先日、電車に乗ったら乳母車に乗った赤ちゃんが、素晴らしく力強く泣いていました。私が、思わず聞き惚れていると、60代の男性が「泣かせるな」とお母さんを責めはじめました。
初め、お母さんは無視して、屈みながら赤ちゃんをあやしていたのですが、泣き止まない赤ちゃんと罵倒の収まらない男性との間についに赤ちゃんを抱いて立ち上がって、「赤ん坊は、泣くのが仕事なのです。」と毅然と言い放ちました。
私も、見かねて、「まぁまぁまぁ」と言いながらその間に割って入りましたが、ただ次の瞬間には電車が停まり、その親子はすぐに降りていってしまいました。
罵倒していた男性は、なんとなく拍子抜けた様子でぶつぶつと言っていましたが、私に当たり散らすことなく、収まりました。
「泣くのは赤ちゃんの仕事。」
これは、私が小さかった時にはよく聞いた言葉です。
しかし、最近ではその認識はほとんど無くなっているのではないでしょうか。
泣くことに対する忌避感が広まり、私が赤ん坊だった頃の母親のような人は本当に見かけなくなりました。
私の骨は非常に脆いので、しょっちゅう骨折をしていました。
骨折をすると、固いギブスで動かないようにと固定されます。
動かされることがあまりに痛いので、自分で息をつくことさえ止めたくなるほどでした。
それを知っている母親は、その激しい痛みが治まるまでは、抱っこして、あやすわけにもいかないので、あまりの辛さで私より先に、いつも泣いていました。
母親は、もともと愛情深い人ではあったと思いますが、私を育てる中でも、
しょっちゅう泣いていたので本当に優しく、子ども思いの母親でした。
父親は、戦争に駆り出され、中国とシベリアであまりにも夥しい死を見すぎたためか、悲しみを表現する涙を奪われてしまったかのようでした。
母親が泣く度、「泣いても、しょうがない」とか「うるさい。いつまでも泣くな。」とか母の涙を止めていました。
しかし、それでも彼女の涙が止まらなかったので、ついには、私に「母親を泣かせるな」と説教を始めたこともありました。
その時、私は施設にいたのですが、夏休みで帰省し、また施設に戻らなければならない日でした。
私が「戻りたくない」と言いはじめた時に、「施設に帰したくない」と母が言ってテーブルに突っ伏して泣きだしたのでした。
父親は、それを見て憮然としながら私に向かって「お母ちゃんを泣かせるな。帰るぞ。」と言って、立ち上がったのです。
私も全く施設に戻りたくありませんでしたが、私より激しく泣いている母親に様々に混乱した気持ちを抱いたのを覚えています。
人間は感じることを表現する存在です。特に傷付いた感情については、そこから回復する力も備わっています。それが涙や笑いやときに震えやあくびなのです。十分泣いた後に幸せに笑っている赤ちゃんから、涙は悲しみからの回復のプロセスであると気付かされます。しかし大人になると、泣く、笑う、震える、あくびをするなど赤ちゃんのときはどれも自然にやっていることを猛烈な勢いで止められます。
ストレスの多い現代社会、そのストレスの頂点にあるのは、この泣くことや震えることを禁じようとする圧力ではないでしょうか。わたしは、話を聞いてもらって、そのなかで流れる涙をまるごと聞いてもらうという時間を日常の中にしょっちゅう作っています。
私たちは自然界からあまりにも隔絶したいわゆる便利な社会を作ってきました。そのことによって、もともと人間が初めから持っている力を圧倒的に失うことになってしまったようです。
まず、泣くことでしかコミュニケーションできない動物達の心の声に耳を傾けるために、泣くことへの肯定感を取り戻していきましょう。
そして、考える力を完全に奪われる程に傷付いた感情でいっぱいになっている自分の心を解放するためにも、自分の涙もひとの涙も丁寧に聞いていきましょう。
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