書籍「ブッダの真理のことば感興のことば」

真理のことば

10章 暴力
 

130 すべての者は暴力におびえる。すべての(生きもの)にとって生命は愛しい。己が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。 (引用ここまで)

 
このことばを知ったのは、わたしがまだ20代で、イラク戦争に反対し、さまざまな活動をしていく中で、いろいろな人と出会ったときに、仏教僧侶の方たちがこのことばをシュプレヒコールに使っていたからでした。仏教というと日本では「葬式仏教」などと揶揄されますが、非暴力の活動をしている良質な宗教者にもわたしは多く出会いました。
ブッダとか、仏教、を知らない人はまずいないでしょう。でも、ほんとうに知っている人はどれだけいるのでしょうか。たとえば、このような書物に、このようなことばに触れる人はどれだけいるのでしょうか。わたしも、知ってはいました。でも、自分が動物の権利のこと、人間同士の愚かで残酷な殺し合いのことなどを知り、殺生をやめよう、すなわちビーガンになろうと決めて、ふっとまたこのことばに出会い直しました。こんなにシンプルで力強くて、当然であるにもかかわらず、踏みにじられていることを、もうずっと昔に実行し、広めようとしていた人たちはいたのです。
日本では「宗教」というだけでいかがわしいものもすべてひっくるめて、差別され、蔑まれます。なので、このような良質な書物でさえ、あまり一般的に読まれることはありません。なので、たとえ「宗教」が嫌いだとしても、哲学として、真理のことばとして、この本を偏見なしに多くの人に読んでもらいたい、という思いがあります。
 

感興のことば

30章 楽しみ
 

3 生きとし生けるものは安楽をもとめている。もしも暴力によって生きものを害するならば、その人は自己の安楽をもとめていても、実は安楽を得ることができない。(引用ここまで)

 
ビーガンになってよかったな、とおもうことはやはりこのことばに端的にあらわされていて、自己の安楽、ということなのです。だから、よく「ビーガンは我慢しないといけないからいやだ」などと言われますが、そこには、自分の安楽を求めるには、暴力を捨てていくしかないのだ、という視点が抜けています。わたしが安楽でありたいように、他のすべての生き物もそうであって、他者に安楽がもたらされるのであれば、当然自分にももたらされる、という非暴力哲学です。
 
岩波文庫はたいていどの書店にも置いてあります。文庫本ですので、手軽に持ち運びもでき、またこの本は章や段落に細かく分かれており、短い時間でも、好きなところだけすっと読めます。わたしは、旅先などにもよく持っていき、待ち合わせの前とか乗り換えの待ち時間などに読んでいます。日本語訳もとても素晴らしいので、詩を読むような気持ちで読めます。ぱっ、と開いたところを読むと、はっとすることが書いてあります。
忙しい人ほど、読書するひまなんかないよという人ほど、たまにはスマホの指を休めて、ページをめくってみませんか。
 

文責:猫家知恵蔵(著書「Veganという生き方」2014 マインド)



猫家知恵蔵ブログ
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