詩人「高村光太郎」 「リルケ」

「ぼろぼろな駝鳥」
高村光太郎
何が面白くて駝鳥を飼ふのだ。
動物園の四坪半のぬかるみの中では、
脚が大股過ぎるぢゃないか。
顎があんまり長過ぎるぢゃないか。
雪の降る国にこれでは羽がぼろぼろ過ぎるぢゃないか。
腹がへるから堅パンも食ふだらうが、
駝鳥の眼は遠くばかりみてゐるぢゃないか。
身も世もない様に燃えてゐるぢゃないか。
瑠璃色の風が今にも吹いて来るのを待ちかまへてゐるぢゃないか。
あの小さな素朴な頭が無辺大の夢で逆まいてゐるぢゃないか。
これはもう駝鳥ぢゃないぢゃないか。
人間よ、
もう止せ、こんな事は。
 
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「智恵子抄」有名な高村光太郎の詩「ぼろぼろな駝鳥」。この作品も中学生の国語のワークブックあたりでときどき採用されていて、知っている人も多い。
改めて思うが、こんなにストレートな動物園批判はあまりない。
「もう止せ、こんな事は。」としっかりはっきり書いてある。ぼろぼろにされた駝鳥を描写しているだけにとどまらず、「人間よ、もう止せ」とちゃんと主張している。
 
ずっとあったのだ、この流れは。アニマルライツ運動はいまに始まったことではないのだ。感性の豊かな人なら、古今東西、誰でも感じることなのだ。古今東西、と書いたので、もう一つ紹介する。
 
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鉄枠に囲まれて視力は衰え
豹はジッとしておれなかった。
豹には無数の鉄枠があり
外には世界がないようだ。

ほんのわずかの範囲を動き回る
逞しく柔軟な足取りの歩行は
無感覚な大いなる意思の中心を
力強く旋回して踊るようだ。

時として瞼が静かに上がる
すると一つの像が目に入り
張りつめた静寂が全身を駆け巡り -
やがて豹の心から消えていく。

リルケ
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詩人という人々は、このように世界を観察している。このような感性は国籍や時代、性別を問わない。
 
 
猫家知恵蔵



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