チベットの「いま」を伝える雑誌『チベット文学と映画制作の現在 SERNYA』(セルニャ) の5号に、佛教大学の小野田俊蔵先生の書いた、チベット アドムのベジタリアンの状況が掲載されています。
チモ村の、あるベジタリアンはこんな風にインタビューに答えています。
そんなことがあった頃、この村にシャテー・ラクツォ・ジュンネーという名の偉いラマが訪ねて来たのです。そのラマのお説教で、肉を食べることによってどんな悪業が引き起こされるのか、ということを教わったのです。「自分の息を止めたらどれほど苦しいか、自分に針を突き刺すとどれほど痛いか。でも殺される牛たちは、そんなものとは比較できないほどの苦痛を覚えつつ死んでいくのだ。そのことを想像してみなさい」というような具体的な表現で説法されたのです。(中略)
「その苦しみを受けている動物が自分の親や親族の生まれ変わりでないとは断言できない。彼らはひょっとして全世の自分の母の生まれ変わりかもしれない。とすると自分は母の肉を食べていることになる。そんな風に考えるに至ったのです。そのお坊さんの前で即座に「今日からわたしはけっしてお肉を食べないことを誓います」と宣言したのです。
日本ではダイエットや健康面から取り上げられることの多いベジタリアンですが、チベットではベジタリアンという食生活は、信仰の中で重要なものに位置づけられており、命に向き合った上での選択であることが分かります。
アムドのチモ村ではその付近も合わせて100人ものベジタリアンがおり、ベジタリアンは拡がりつつあるそうです。
とはいっても伝統的なの農牧民としてのチベット人の生活は肉食とは切り離せないものです。
しかしチベットでの「畜産」の方法は、日本とはまるで違います。
雑誌にはチベットの豚の放牧写真も掲載されています。草の生い茂った広い大地の上を群れをなして歩く豚たち。豚は朝に山に放たれ、夕方になると自分から畜舎に戻ってくるそうです。
小野田先生は次のように書いています。
母子の豚が幸せそうに山地を走る姿を見ていて、妊娠ストールという小さいケージの中で身動きもとれずに強制的に妊娠させられながらも自らの産んだ子の姿さえ見ることも叶わず出産させられ続ける日本の工場的畜産業での不幸極まりない母豚の姿を思い起こして涙してしまった。
肉を食べるとき、「命に感謝」という言葉を私たち日本人はよく使います。その言葉がチベットで使われるならば身のある言葉になるでしょう。しかし日本で使われるにふさわしい言葉だといえるでしょうか。妊娠ストールという方向転換すらもできない狭い檻の中に動物を閉じ込めるような今の日本には「命への感謝」はなく、そこには徹底した搾取しか見出せません。
オーストリアの登山家がチベットで過ごした7年間を描いたセブン・イヤーズ・イン・チベットという映画があります。映画の中で、建物を建てるために掘り返した土の中のミミズたちを、チベットの僧侶たちが手で丁寧にすくいとり、死なないように移動させているシーンがありました。ある面から見ると滑稽にも見えるその動作ですが、胸にせまるような命に対する真摯な姿勢を感じます。
チベットの人たちは妊娠ストールなどという方法は思いつきもしないのではないでしょうか。
「国の偉大さ、道徳的発展は、その国における動物の扱い方で判る」マハトマ・ガンジーの言った有名な言葉です。
命への向き合い方について、わたしたちはチベットの人たちに学ぶべきことがたくさんあるかもしれません。
*記事が掲載されている雑誌はこちらからご注文いただけます。
http://tibetanliterature.blogspot.jp/2018/04/sernya-5-5-sernya-info.html
*小野田先生は、妊娠ストール廃止キャンペーンへ賛同メッセージを寄せていただいています。
http://savemotherpig.arcj.org/onoda-shunzo/