第四章 ベジタリアンになる
…ベジタリアンになることは、ヒト以外の動物の殺害と、かれらに苦しみを与えることの両者に終止符をうつために私たちがとることのできる、もっとも実践的で効果的な手段なのである。(203ページ)引用ここまで。
なぜベジタリアンなのか。その理由が端的にこの一文に示されていると思う。自分一人がベジタリアンになったぐらいで…、と多くの人は思う。そして、なんだ かんだと理由をつけて、ベジタリアンにはならない。ならない理由はいくらでもある。食べるものがない、家族と不和になる、仕事上、など。しかし、それはほ んとうに「理由」になっているだろうか。
わたしはこのベジタリアン問題を考えていくうちに、いろんなことを知ったし、考えたし、思った。いろん な人と意見を交わしたし、その人たちの在り方を見た。そして、やはり、このことを理解できるのは知性であるし、そして少しの勇気であったり工夫であった り、また情報収集であったりするわけだが、できる人はできる。実践する人はする。それだけのことだ。ほんとうに理解しているかどうか。頭だけでなく、精神 や身体レベルでそれを理解しているかどうか。そこが問われる。その人の人間性が如実に現れ出るイシューなのだとわたしは思う。だから、多くの人は畜産や肉 食、動物を食べることを話題にするのを恐れ、この話題は表面に上がりにくくなっていた。いろんなことが明らかになりすぎるから。
なに よりも大切なのはこのピーター・シンガー本人が肉食をしないという事実だ。ウィキペディアなどにも載っているので、よかったらいろいろ調べていただきた い。提唱者が実践しているということが何より大切だとわたしは思う。データを並べて論じるだけの学者、一人で考えるだけの哲学者の本なんて、なんの魅力も ない。その書物を通じて、その文章を通じて、わたしたち読者がその人に興味を持ち、その人の魅力に触れることのできるような本でなければ、ただの紙の束 だ。本は人である。わたしはそのことを知っている。わたしにも著作があるが、わたしの本が好きだと言ってくれる人はわたしを好きでいてくれる人であり、わ たしの本に適切な評価をしてくれる人はわたしのことを分かってくれる人である。そのことをわたしはよく知っている。
わたしはシンガー氏に好感を持っている。こんな先生に直接学べるなんて、学生さんは幸せだと思う。魅力的だと思う。お会いしたいと思う。生きている人間に対する賛辞としてこれ以上なにがあるだろうか。
まとめにわたしのことばを。
もし100人の村があって、100人がみなベジタリアンであれば、その村の動物たちは暴力におびえることもなく殺されず、幸せであるだろう。人々は「家 畜」に回していた穀物を分配し、みなで豊かに暮らし、飢えで亡くなることもないだろう。みなが健やかで安定した精神のもとに生活、仕事、芸術活動などを行 い、そのことで収入を得るだろう。近隣の町や村の人々も癒しを求めその村にやってくるだろう。平和が続くだろう。娯楽には語り、歌い、舞い、など人間が人 間の知恵によって高められた芸が好まれるだろう。
そういう村を、わたしは自分一人から作っていく。今、自分がいる場所を、その村にする。
猫家知恵蔵(著書:「Veganという生き方」)
猫家知恵蔵ブログ
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